2008-05-19 第169回国会 参議院 決算委員会 第8号
○中村博彦君 いよいよ新学習指導要領で一番変えなくてはいけないものが、私は通知表、通知簿だろうと思います。現在の評価はすこぶる評判が悪い。なぜこんな通知簿になったのか。五段階評価で、そして五は何と九〇%、そして一層努力を要するという一は〇%、これは本当になっていません。これは余り前を見せたらいかぬと言われている。
○中村博彦君 いよいよ新学習指導要領で一番変えなくてはいけないものが、私は通知表、通知簿だろうと思います。現在の評価はすこぶる評判が悪い。なぜこんな通知簿になったのか。五段階評価で、そして五は何と九〇%、そして一層努力を要するという一は〇%、これは本当になっていません。これは余り前を見せたらいかぬと言われている。
これは私の技量のなさだったと思うんですけれども、通知簿とか所見をつけるときに、六人だと、人数少ないんですけれども、いろいろなところまで見えますので、書くことが多いんです。やはり多くなると、これは私の情けない話なんですけれども、目立たない生徒というのは、あれ、どんな子だったかなと、もう一回振り返らないとだめなんですね。
この間、日本の経済状況また国民生活がどれだけ悪化したかということが一目でわかる表でございまして、ただ、申しわけないんですが、速水総裁の実績というふうに、速水総裁の通知簿にするには異論があるところでございまして、むしろ政府・与党の通知簿と言うべきなんじゃないのかなと私は思ったわけでございます。 ただ、いろいろな形で、福井次期総裁、量的緩和の限界ということが言われます。
そして、先生方が、出席日数の足らない子供を無理やりに家庭から学校へ連れ戻して何とか出席日数のつじつまを合わせているとか、あるいは、授業がわからずに、通知簿もほとんど1のような子供たちにも無理やりに補習を受けさせて、担任の先生は何とか卒業をさせているというのが現状でなかろうかと思います。
それから、埼玉県の内申書が置き忘れられた件でございますが、これも書類上の重要な管理を、学校側がそういう安易な方式で置き忘れるということは非常に遺憾でございますけれども、内容といたしましては、通知簿の内容と内申書の内容と違ったような形になっているわけではなくて、様式の差異、それから出てくる若干の差はありましたけれども、それについての説明を子供並びに親に対して行いまして、その内容、記載について別に間違ったことがあったというような
そして、色盲であるとか色弱であるとか、これは我々のころは必ず通知簿にきちっと載ったのだから。今でもそれは行われているのです。だから、検査をしていないのではないのです。検査してわかっているのです。私は、今まで配慮がなかったことを責めているのではありません。ただ、これから先そういうことを認識して十分な御検討の上に御配慮をなされるべきではありませんか、就職の問題やいろいろなことも含めまして。
○小巻敏雄君 私も質問は通知簿についていま質問したのでなくて、指導要録について質問をしておるわけです、明確にですね。指導要録というものが、やっぱり学校としても最も重点を置き、公式記録として残していくものですからね、これの動きが教育内容に最も全体的にかかわりを持つものだと、そう思うわけです。
○政府委員(諸澤正道君) ちょっと御質問を整理してお答えいたしますと、この通知簿と指導要録の関係というのは、いつも申し上げますように、即通知簿の内容になるわけではない。
はどうであったかというものを通知するものでありますから、そこで仮に五段階評価で言えば、国語が一だという場合に、一というその評価自体は五段階評価として指導要録に残すにしても、子供個人に対する通知としては、その子供が国語が評価としては一であっても、しかし、前の学期から比べて話すこともずっと進んだ、あるいは字を書くことも一生懸命になったという、そこをとらえて、あなたのお子さんはこういうことはよくなりましたよと書くのがまさに通知簿
○諸澤政府委員 その点は、いま申し上げましたように、あくまでも五段階評価は学校の公簿としての指導要録の記載の仕方でありまして、通知簿は一人一人の子供さんについて、先ほど申しましたように、その学業発達の程度というものが系統的にわかるように親に教えようということでございますから、いまの指導要録の五段階評価とは別途に、学校が苦心をして、いろいろ苦労して、そういう趣旨が最も出るような形でやっていただくように
通知簿については、京都なんかでやっておりますね、到達目標を決めて、そしてそれについて到達度を明らかにしていくというふうな方法によって、子供の発展、発達というか成長を明らかにしていく、しかも、単に相対的なランクづけではなくて、基礎学力なんかがわかるようにやっていくというふうにすべきではないか、こう思うわけであります。
これについては三十年一日と申しますか、特に変更はないわけでありますから、結局竹園小学校でもこの指導要録の中身をざっと通知簿にそのまま書いて一遍流してごらんなさい、また同じ問題が必ず再燃してくる。
いたしましたときにも、多少現場において十分理解していただけないために混乱があったように記憶いたしておりますが、文部省が言っております学習指導要録、つまり学校に備えつけなければならない子供のいわば学籍簿、これに記載するその評価というものは、全体の中においてどのくらいであるというところの、いわゆる五段階評価をもってしなさいとしておるわけでありますが、そのことは直ちに、個々の子供なり子供の父兄に連絡しますところのいわゆる通知簿
そうしてたまたま親のほうから、せっかく学校の場所がそういう便利なところにあるならば三越デパートも近いから買いに行ってくれないかとか、買いものを頼まれますときには、通知簿というのに親元からかくかくしかじかの事情によってきょうは使いを頼むという許しを得たものです。そうしますと、また、それに対して何時に学校を下校したと、担任の時間と判をいただいて家に帰って見せる。
○宮地政府委員 もう先刻御承知のことと思いますが、お尋ねの通知簿とか通信簿というものですが、これは法律上は学校教育法にも施行令にも書かれておりません。ただ、実態といたしましては、学校におきます児童とか生徒などが学習をしたり、あるいは学校でいろいろ行動、教育活動をいたしますが、そういったような教育上の問題につきまして、学校から家庭への連絡通信、そのための書類が通信簿であろうと思います。
組合員の数につきましては、ただいま水産庁のほうからお答えになられたとおりでございますが、この組合員の数、それから名簿といいますか、そういうものは組合が本件に関して臨時総会をいたしたのでございますが、その際の発送通知簿、それを組合員に出されたものを組合員ということでわれわれは理解しているのでございます。
現在報ずるところによりますと、現場におきましては、ことしの一学期中の通知簿が完全に記載できなかったところもあり、あるいは生徒がこの闘争に巻き込まれて街頭において処分を受けた先生の処分撤回署名運動に参加しておる者もあり、あるいはPTAあるいは町のいろいろな団体がこの闘争に参加をしておるようなものがございまして、ますますこの高等学校の闘争が拡大をして解決が困難になりつつある様相も見えますが、少なくとも一学期中十一校
たとえば身体検査とか学籍簿、通知簿というものは不可欠の問題、どこの学校でもつくらなければならぬ問題、特に身体検査、学籍簿に至っては、これは永久保存なんです。重要書類なんです。だから私は、そういうものを抜き書きして聞こうとしたら、それが積算の基礎に入ってない、どんぶり勘定であるということだったら、ほんとうはこれは予算委員会だったら通りません。これで通りますか、冗談じゃないですよ。
それから鉱業原簿につきましては、現在のところ副本がございませんが、鉱業原簿の一部といたしまして鉱区図帳でございますとか、あるいは共同鉱業権の場合には共同人名簿、あるいはまた付属書類としまして通産局に登録の受付簿、あるいは申請書つづり込み帳、あるいは鉱業権の登録済み通知簿、こういうような帳簿を備えておりまして、それによりまして、これはまあ別のところの事務室にあるわけでございますが、それによりましても、
十番目には、通知簿の記載もしなければいけない。第十一番目には、進学の指導もしなくちやいけない。第十二番目には、そのほか日直もしなければいけない。第十三番目には、宿直もしなければいけない。第十四番目には、そのほかに各教え子の家庭訪問もしなくちやいかぬ。第十五番目には、学校給食の世話、あつせんもしなければいけない。こういうようなわけで、今数え上げただけでも十六、七。
いずれこれは参るということが確定いたしますならば、更にこのことにつきましては恐らく相手国へ通告する必要等からいたしまして、参るという日取りよりも恐らく一月前くらいには確定いたしまして通知簿もしなければならんと思いますが、さようなわけでございますので、これを確定いたしまする域に達しまするならば、今お話のような点等につきましても、閣僚その他の意見等も徴せらるることでありましようし、いろいろ取りまとめて目的等
方面に教育委員会が公民館とか又教育館とか或いは更に文化研究所、愛知縣におきましても明大の先生と連絡を取られまして、愛知縣文化研究所を作つておられる、ここでは理論的にも、又各般のカリキュラム、小学校、中学校、高等学校、殊に高等学校のカリキュラムの研究のごときは誠に実際にも又理論的にも丹念にできておる、例えば從來ありし学籍簿などというようなもの、つまり兒童の價値を評價するのに、簡單にあの学業成績簿とか通知簿